日本武尊と古墳群

百舌鳥・古市古墳群を世界遺産に

世界一大きな墳墓が、仁徳天皇陵。
世界で二番目が応神天皇陵、世界三番目が履中天皇陵です。

これを日本武尊との関係で観てみると、
日本武尊の孫が応神天皇、その子が仁徳天皇、
その子が履中天皇となります。

仁徳天皇の立場でいうと、世界一が本人、世界二が父親、
世界三が息子ということになります。

中国の歴史書「宋書」に記された「倭の五王」とはだれか、
簡単に言うと仁徳天皇の三人の子供と二人の孫です。

ここに、日本武尊からつながる人物の物語を見る事が出来る。
この古墳群は、古墳一つ一つバラバラではなくて、
人物でつながっているのです。

日本武尊が日本を統一し、
その子孫が東アジアでも大きな勢力を誇りました。
その中心地が河内国・和泉国であり、そしてその場所に、
世界最大級の古墳群が造られたのです。

日本武尊は、日本を統一した英雄です。
天皇になる前に死んでしまった悲劇の英雄ゆえに、
色々不思議な伝説が生まれました。
だから、実在を疑う人がいます。

しかし、我が国の正当な歴史書である古事記・日本書紀に
記載されているので、日本武尊は実在の人物であると
考えるのが正しいと思います。

代数
名前
御稜所在地
父親
倭の五王
日本武尊
(やまとたけるのみこと)
羽曳野市軽里
景行天皇
第14代
仲哀(ちゅうあい)天皇
藤井寺市藤井寺
日本武尊
第15代
応神(おうじん)天皇
羽曳野市誉田
仲哀天皇
第16代
仁徳(にんとく)天皇
堺市堺区大仙町
応神天皇
第17代
履中(りちゅう)天皇
堺市西区石津ケ丘
仁徳天皇
倭王 讃
第18代
反正(はんぜい)天皇
堺市堺区北三国ケ丘
仁徳天皇
倭王 珍
第19代
允恭(いんぎょう)天皇
藤井寺市国府
仁徳天皇
倭王 済
第20代
安康(あんこう)天皇
奈良市蓬莱
允恭天皇
倭王 興
第21代
雄略(ゆうりゃく)天皇
羽曳野市島泉
允恭天皇
倭王 武
第22代
清寧(せいねい)天皇
羽曳野市西浦
雄略天皇


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